1 樽悶 ★ :2024/06/02(日) 23:33:46.92 ID:Jm1VAyVi9
約1万年の間、平和が続いた縄文時代。自然と共生し、格差もなく、クリエイティブな土器や土偶を生み出した理想的時代のイメージです。弥生時代に稲作が始まってから身分の差や争いが生まれたといわれています。しかし、人間である以上、縄文人も素晴らしい人格者ばかりというわけではなかったようです。
ユートピアだと思われた縄文時代に、少しかげりが見えるようなニュースが発表されました。東京大学総合研究博物館のサイトには「破壊的に突かれた縄文人の頭骨を発見―縄文時代の暴力の実態を探求するための新資料―」と題された文章が出ています。
100年以上前に発見された縄文人の頭骨に、破壊的に孔(あな)をあけた痕跡が発見されたそうです。「弥生時代以降と異なり、集団同士の戦闘の証拠が見当たらない平和な時代であった」とされる縄文時代が実は、石の斧や矢じりを使い1対1や1対多人数の闘いが繰り広げられていたという説が浮上。一部、気性が荒い半グレ縄文人もいたのでしょうか。
最初にこのニュースを知った時、縄文好きとしては、何かの間違いでは?という思いでした。今までのブランドイメージが下がってしまいます。縄文時代が理想の世界と考えているスピリチュアル系の友人知人にこの説を伝えると、「海外から来た勢力に襲われたのでは?」「論文には何か裏があるのかもしれない」と信じたくないようでした。
実際見て確かめなければと思い、東京大学総合研究博物館で開かれていた特別展示「骨が語る人の『生と死』」へ。そこに今回の新説のもとになった骨が並んでいました。きれいな丸い穴が目立つ「頭部に2つの穴があけられた人物」、楕円形の穴が広がっている「頭部に穴があけられた人物」、さらに致命傷ではないと思われる「矢じりが刺さった骨」も展示。これまでも他者による損傷が疑われる縄文人骨は十数例報告されているとのこと。
展示の中で、丸い穴の損傷がある頭骨には「鹿角の先端のようなもので力強く突き刺された」という説明が。添えられた論文によると、暴力行為とは限らず、死後の儀礼行為だったという説もあるとのこと。まだ縄文時代ユートピア説は完全に消えてはいません。そのことに安堵しながらも、穿孔(せんこう)があいた頭骨は痛々しく、他の頭骨に比べると、どこか悲しげな表情に見えました。
■弥生人の絆
弥生人の話題でも新展開です。鳥取県の弥生人の集落跡「青谷上寺地遺跡」から出土した1800年前の頭蓋骨から、顔を復元する試みが進行中。
以前復顔された中年男性は「青谷上寺朗」と命名、そっくりさんコンテストも行われ盛り上がりました。第2弾で復顔した若い女性とみられる骨は、DNA解析の結果、男性と判明。新たに作った復顔像はかわいらしさと野性的魅力があり、どこか青谷上寺朗に似ています。息子か弟でしょうか。縄文人の人気に押される弥生人も、家族の絆をアピールすれば注目度が高まりそうです。(漫画家・コラムニスト、エッセイスト)
5/30(木) 12:10配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/330929ec55f0f1acdad81b5647ce047e7cade972
(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)
問題にすべきは一方的にユートピア幻想を抱いた方
だなあwww
つか、まだそんなアホなこと言ってるのかよw
そんなだから「ゴッドハンド」とか出てきちゃうんだろうよw
まだ懲りてねーのかよ?w
ほんとにバカなんじゃねーか?w
この頃からエタヒニンがいたんじゃないのかな?
社会の秩序を乱すのは汚い血の流れるエタヒニン。
本当にこいつら気持ち悪い
皇族でも身内で殺し合いやってたろ
>弥生時代に稲作が始まってから身分の差や争いが生まれたといわれています。
んなアホなwww
集落があったんなら、そこには政治が発生するし、争いも戦もあるに決まってんだろうwww
縄文時代版カインとアベル
どう突っ込んでいいのやら…
あらゆる困難が科学で解決するこの令和の時代でも猟友会イベントで獣と間違われて毎年ケガ人とか死人が出てるしな
人間が争わない訳がない
というか縄文時代ユートピア説なんて初めて聞いたが
漢民族を虐殺したのもその血の名残なんだろうな
極端な話北センチネル島なんていまでもそれなんだから
平和な時代と言ってもおかしな奴らはどこにでもいるでしょ
アイスマンしかし
だって法がないんだぞ。宗教も原始的なもんだしさ。
バカな極左が原始社会に勝手な夢を投影して
ユートピア作ろうとした、成れの果てはどうなった?
この事件の内容を知り、恐怖と寒さを一気に感じました・・
2011/01/09 16:57:19補足
な・・
結婚してるなんて・・
ベストアンサー
2011/01/14 14:10:53
A→小島茂夫・・・主犯。反省したふりをして死刑を免れ服役中。
B→徳丸信久・・・無期懲役で服役中?
C→高志健一・・・懲役13年。馬鹿面が掲載されている(らしい)。
D→近藤浩之・・・出所して現在岸和田市在住。反省の色無し。
E→筒井良枝・・・現在示談屋の夫と同居。事件当時主犯のオンナ。
F→龍造寺リエ・・・98年出所。夫の暴力に耐え切れず一時フィルターに駆け込む
1938年(昭和13年)5月21日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両集落で発生した大量殺人事件。
一般には津山事件と呼ばれ、津山33人殺傷事件と呼ばれる場合もあり、犯人の姓名を取って
都井睦雄事件(といむつおじけん)とも呼ばれることもある。
犯行が行われた2時間足らずの間に28名が即死し、5名が重軽傷を負った(そのうち12時間後までに2名が死亡)。
なお、犯行後に犯人が自殺したため、被疑者死亡で不起訴となった。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
日本の出版事業家、小学館および集英社の創業者。
別名、相賀祥宏。
長男は小学館第2代社長の相賀徹夫。
孫は小学館第3代社長の相賀昌宏(徹夫の長男)。
来歴・人物
編集
岡山県都窪郡加茂村(現在の岡山市)にて、庄屋を営む相賀虎右衛門の息子として生まれる。
祖父は村会議員。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E8%B3%80%E6%AD%A6%E5%A4%AB
何で争いが無かったなんて思ったんだ?